ようこそ、おいでくださいました
弊店は、故大原總一郎氏のご厚意を賜り、六十余年前に長野県松本市よりこの白壁の美しい街、倉敷へと参りました。
信州蕎麦の店として暖簾を掲げる際、店名は信州の地名に因んで、大原氏より「あずみ」と名付けていただきました。
大原氏に愛していただいた蕎麦とつゆの味を、初代から受け継ぎ、大切に守り抜いて参りました。
時代と共に移りゆくものの中で、基本を重んじ、そして工夫を惜しまず、最良のお蕎麦をお出しできるよう、従業員一同と共に日々精進を重ねております。
倉敷にお越しの皆様、また地元のお客様に、信州の味と香りで心安らぐひと時をお楽しみいただけましたら幸いでございます。
どうぞ、お気づきの点は何なりとお申し付けくださいませ。
「あずみ」 店主 敬白
あずみのあゆみ
昭和20年代後半
長野県松本市にて和菓子店「池田屋」創業
初代・池田慶二郎が松本の地で商いを始める。
昭和30年代半ば
和菓子店から蕎麦屋へ転身
内藤翁との出会いを機に蕎麦打ちを習得。「信州内藤流手打ち蕎麦」として歩みを始める。
昭和39年9月
大原總一郎氏、初めて「池田屋」へ来店
バーナード・リーチ氏らと共に、大原美術館の二代目館長・大原總一郎氏が松本の店舗を訪れる。
昭和41年6月8日
倉敷・美観地区へ移転。店名を「あずみ」へ
大原總一郎氏の厚意により現在の地へ移転。店名は信州の地名にちなみ命名される。
平成15年
待合い席の設置
現在のお席のスタイルへ。心地よい空間づくりに努める。
平成
二代目・池田二郎による暖簾の死守
時代の荒波、そして未曾有の事態が「あずみ」を襲う。
その難局の中、二代目は身を粉にして黙々と、そして実直に蕎麦を打ち続けた。
決して折れず、暖簾を掲げ続けたその歳月は、まさに献身そのもの。
どんな理不尽な状況下にあっても、美観地区における「あずみ」の灯を絶やさなかった不屈の精神は、今の店の礎となっている。
絶大なる功労者は、守り抜いた味と志のすべてを現三代目へと継承。
その重みこそが、あずみの真なる血肉となった。
当時の記録:旧ホームページはこちら
その難局の中、二代目は身を粉にして黙々と、そして実直に蕎麦を打ち続けた。
決して折れず、暖簾を掲げ続けたその歳月は、まさに献身そのもの。
どんな理不尽な状況下にあっても、美観地区における「あずみ」の灯を絶やさなかった不屈の精神は、今の店の礎となっている。
絶大なる功労者は、守り抜いた味と志のすべてを現三代目へと継承。
その重みこそが、あずみの真なる血肉となった。
当時の記録:旧ホームページはこちら
平成
三代目・池田裕樹 継承
三代目として打ち場に立つ。当初は己の未熟さと向き合う日々が続くも、あずみの暖簾を背負う重圧を糧に、理想の蕎麦を求めて研鑽を重ねた。
令和六年
三代目、挽きぐるみの『正着』へ
歳月を費やした探求が遂に結実。
その過程で旧来の工程を見直し、独自の技術導入による製麺工程の革新を断行する。
伝統の『心』を最新の『技』で支える盤石な体制を整え、品質の更なる安定と向上を実現。
職人としての矜持を込めた蕎麦を、あずみの新たな歴史と共に打ち続ける。
その過程で旧来の工程を見直し、独自の技術導入による製麺工程の革新を断行する。
伝統の『心』を最新の『技』で支える盤石な体制を整え、品質の更なる安定と向上を実現。
職人としての矜持を込めた蕎麦を、あずみの新たな歴史と共に打ち続ける。
「あずみ」の蕎麦が、黒い理由
連綿と受け継がれる、必然の黒。
それは「風味」と「栄養」の頂点を目指した結果です。
「挽きぐるみ」の野趣
蕎麦の実を殻ごと挽き込むことで、力強く深い風味を生み出します。
蕎麦の実を殻ごと挽き込むことで、力強く深い風味を生み出します。
三番粉と甘皮の滋味
最も香りが強く、栄養価の高い部分を贅沢に含むため、色が濃く色づきます。
最も香りが強く、栄養価の高い部分を贅沢に含むため、色が濃く色づきます。
唯一無二の配合
味・香り・食感。すべてが調和する独自の黄金比が、この色を決定づけました。
味・香り・食感。すべてが調和する独自の黄金比が、この色を決定づけました。
違う色を打てば、それはもはや『あずみ』ではない。
私の身体に染み付いたこの黒こそが、あずみの蕎麦の証なのです。